改造兌換銀行券の買取相場一覧
価値や詳細、買取情報についてご紹介
このページでは日本の旧紙幣・古紙幣である【改造兌換銀行券】の種類や価値、買取価格相場について、一覧形式で詳しくご説明します。改造兌換銀行券は額面ごとにデザインの特徴があり、それぞれで古銭買取での買取相場も異なりますので、改造兌換銀行券の各種額面もまとめて一覧でご紹介します。
改造兌換銀行券の各種額面の買取相場と概要一覧
改造兌換銀行券の額面は「100円」「10円」「5円」「1円」の全部で4種類あります。古銭買取における改造兌換銀行券の買取相場は非常に高く、各種額面で買取相場や価値も大幅に変わりますので、古紙幣の価値を調べたい場合などに参考にしてください。
改造兌換銀行券100円(買取相場など)


改造兌換銀行券10円(買取相場など)


上記の改造兌換銀行券100円紙幣ほどではありませんが、こちらの改造兌換銀行券10円もかなりの高価買取が期待できる古紙幣で、古銭買取での買取相場も、美品であれば50万円前後の買取価格が期待できます。あまり美品とはいえない改造兌換銀行券10円であっても、30万円前後の買取価格が期待できるようになっていますので、もし買取の際は複数の買取業者で相見積もりを取っておくことをお勧めします。
改造兌換銀行券5円(買取相場など)


古銭買取における改造兌換銀行券5円紙幣の買取相場は、美品の場合であれば30万円の買取価格も期待できますし、並品であっても10万円前後の買取価格が期待できます。
改造兌換銀行券1円(買取相場など)


改造兌換銀行券1円の買取相場は、美品であれば1万円前後の買取価格も期待できます。あまり美品でなさそうであれば改造兌換銀行券1円であれば数千円の買取相場に留まるのが平均的ですが、複数枚みつかれば古銭買取での買取価格も十分期待できる古紙幣です。
改造兌換銀行券について

明治18年(1885年)に発行された旧兌換銀行券は、紙幣に強度を持たせるため、こんにゃく粉を加えて作られていました。さらに、偽造を防止するため青色のインクを用いるなど、かなり工夫を凝らして作られた古紙幣(旧紙幣)でした。
しかし、旧兌換銀行券はこんにゃく粉の使用が原因でネズミや虫に食べられてしまったり、インクに含まれる成分と温泉成分との化学反応によって変色するなど、紙幣として非常に劣化がしやすいといった欠陥が相次ぎました。
こういった欠陥を克服する目的で新たに発行された古紙幣が、今回ご紹介の「改造兌換銀行券」です。改造兌換銀行券は、「改造100円紙幣」「改造10円紙幣」「改造5円紙幣」「改造1円紙幣」の4種類が発行され、日本で銀本位制が終わるまで発行され続けた古紙幣でした。
また、改造兌換銀行券は日本で初めて「額面ごとに肖像画の人物が変わっている」紙幣に該当します。
このとき大蔵省の会議にて「日本武尊」「武内宿禰」「聖徳太子」「藤原鎌足」「和気清麻呂」「坂上田村麻呂」「菅原道真」7人の偉人が肖像画の候補に挙げられ、「坂上田村麻呂」を除く6人は日本が戦後の時代に差し掛かるまで、あらゆる紙幣にて肖像画として採用されることになります。
明治時代の金融政策のおさらい
明治時代に入ると殖産興業の推進や金本位制の導入、西南戦争による影響などの影響で、「国立銀行」や「日本銀行」の誕生や、紙幣のインフレ、金本位制の一時停止など日本の金融政策事情は様々な変化を遂げました。
改造兌換銀行券は銀本位制が終わるまで発行が続いた、いわば金融事情の変わり目の古紙幣ですので、明治時代の金融の歴史についておさらいしましょう。
(1)殖産興業と国立銀行券について
明治政府は、機械工業や資本主義育成を推進し、西洋諸国に対抗しようとし、これを殖産興業と言います。
政府は、殖産興業を促進するとともに、西洋諸国が行なっていた金(GOLD)の価値を基準とする「金本位制」を取り入れようとしました。
明治5年(1872年)に交付された国立銀行条例に伴い、誕生した国立銀行によって1873年に国立銀行券が発行されました。国立銀行券は元々は正貨である金(GOLD)と交換ができる兌換券でしたが、正貨である金(GOLD)が不足してしまい、明治10年(1877年)には金と交換ができない不換紙幣へ切り替えて発行することにしました。国立銀行券の中でも前者の兌換券は「旧国立銀行券」、後者の不換紙幣は「新国立銀行券」と呼ばれる古紙幣です。
(2)日本銀行誕生について
上記の新国立銀行券が発行開始した明治10年(1877年)と同年に西南戦争が勃発しました。この混乱をなんとか鎮めようとした政府は、不換紙幣である新国立銀行券を大量に発行して対応しようとしましたが、この発行が原因で激しいインフレが起こってしまったのです。
このインフレを終息させ、財政基盤を固めるために明治15年(1882年)に日本銀行を設立しました。
日本銀行設立に伴い国立銀行条例は改正され、兌換銀行券条例といった様々な施策が制定されていきました。ちなみに、日本銀行が設立した翌年の明治16年(1883年)には大日本帝国政府が明治通宝と切り替える目的で「改造紙幣」を発行しています。
(3)兌換銀行券の役割について
明治時代に入ってすぐの頃は前述のように「金本位制」の確立を目指していましたが、金の不足により一度金本位制の確立を中断し、明治17年(1884年)に「銀本位制」を導入しました。翌年の明治18年(1885年)には、銀本位制によって正貨となった銀と交換できる初めての兌換券として、旧兌換銀行券(通称 大黒券)が発行されました。
さらに、明治21年(1888年)には改造兌換銀行五圓券が発行され、合計4種類の改造兌換銀行券が発行されることになりました。これらの紙幣は「金」ではなく「銀」との交換が認められていたことから「日本銀行兌換【銀】券」と呼ばれています。その後、改造兌換銀行券は順調に流通し、紙幣に対する信用も回復と共に、「銀本位制」も確立されました。
改造兌換銀行券のその後
明治30年(1897年)の貨幣法改正に伴って、日本もようやく「銀本位制」から「金本位制」へと再び乗り出すことが出来ました。これ以降のお話はまた順を追って説明していきたいと思います。
ちなみに、昭和2年に交付された兌換銀行券整理法によって、改造1円紙幣を除く3種類の紙幣は、昭和14年をもって通用禁止となりましたが、改造兌換銀行1円紙幣は、現在でも「1円」として使用することが可能です。(※使用すれば大損します)
改造兌換銀行券の価値の高さは、特に「めがね100円」の名で知られる「改造兌換銀行券100円」で有名です。
あらゆる古紙幣の中でもトップクラスの買取価格が期待できるため、もし発見された場合は、複数の古銭買取業者で相見積もりを取られるのをおすすめします。
